イトマン株式会社

イトマンは2017年で創業140年を迎えます。|Anniversary 140th|ITOMAN|since 1877

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社長からのメッセージ140周年に寄せて

おかげ様をもちまして、私たちイトマン株式会社は創業より140周年を迎えることができました。
これもひとえにお客様をはじめ、お取引先様、地域の皆様、そして事業活動にご理解を頂くたくさんの方々のご支援の賜物と厚く御礼を申し上げます。また、会社を愛し、会社を信じ共に140年という歴史を繋いできてくれた諸先輩方と社員ひとりひとりの功績に、心より感謝いたします。
当社は、明治10年、手漉き和紙の製造で創業以来、一貫して紙の生産に携わり、「日々の生活の中にある消費財」の製造販売を通し、さまざまなサービスのご提案を続けて参りました。多くの感動や失敗、環境変化への対応、社運を賭けた挑戦など、その時々に社員が心を一つにし、決断と実践を通し難局を乗り越えてきたものと思います。現在では、業務用家庭紙事業を中心に、10年後の事業開発を通して4事業体制へ移行すべく、将来のお客様へ向けたサービスつくりを進めています。今後も初心を忘れることなく、変わらぬ一貫した取り組みで社員の成長とその風土を高め、イトマンならではの独自の視点でより良い商品の提供を目指して参ります。
140年という節目にあたり、これまで培ってきた3つの価値観を大切にしていきたいと考えています。

1 経営理念への強い情熱を維持し、確実な成長を目指すこと。
2 日々の学びを継続し、成長の喜び、役に立つことの感動を広げること。
3 社員の幸せと雇用の創出を通し、社会に貢献すること。

未来のイトマンにご期待頂けるよう社員と共に新たな挑戦を進めて参ります。
今後とも相変わらぬ、ご指導・ご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げます。

イトマン株式会社 代表取締役社長|伊藤俊一郎

イトマンの歩み140年のキセキ

1877年

Story1|始まりは、初代政助(明治9年分家)が興した手漉き和紙業。進取の気性に富み、一代で家業を構築す。|1877年~1896年

「イトマン」の歴史は明治10年(1877年)、初代伊藤政助が金生村で手漉き和紙業を創業したことにさかのぼる。バイタリティがあり、進取の気性に富んだ政助は、古くから手漉き和紙の集積地であった京都へ赴き、高級和紙製品を収集・持ち帰り、いろいろと研究を重ねた上で和紙の生産をはじめた。当時では難しかった古紙を活用した高級模造紙(型紙)は品質が良く市場では重宝され、事業として成功し、当地手漉き業でも草分け的存在となった。

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1896年

Story2|「イトマン」の礎を創った二代萬三郎の先見の明と三代房一の努力。|1897年~1960年

明治30年(1897年)、政助の長男で二代目萬三郎は22歳で伊藤家の家督を継ぐ。創業時5軒ほどだった手漉き業者もこの頃では、郡内で200軒近くにもなり競争が激化。若くして家督を相続した萬三郎は、事業の経験も浅く、大家族を抱え厳しい状況が続いていた。当時の村の長老からは「世話をするから、一度事業を整理したらどうか。」と声を掛けられた。しかし、萬三郎は「有難うございます。しかし子や孫のために頑張ります。」と努力を重ねた。萬三郎は若い頃より先見の明もあり研究熱心で、この頃にはサイズをきかせた図引紙を開発し、その後高知よりベテランの紙漉き職人を招き、インク止紙の製法を学び商品化するなど、事業を成功・拡大させ今日のイトマンの基礎を固めた。現在の「イトマン」の社名は、「伊藤萬」という萬三郎の時代の屋号がルーツである。
そして、戦中・戦後の混沌とした時代の中で、三代目房一が家業を継ぐ。萬三郎が築いた事業を守るために、従業員と共に夫婦で昼夜を問わず身を粉にして働き、家業を守り抜いた。

昭和28年 手漉時代

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1960年

Story3|「和から洋」へ、俊次の決断。トイレットペーパー生産と販路を求めて。|1960年~1971年

昭和31年(1956年)、四代目俊次(房一の次男)は当時障子紙や鯉のぼりの原紙を作っていた家業の手伝いを始める。高級障子紙(雲竜紙)で中小企業長官賞を受賞するも、手漉き業の限界を感じ機械漉きへの転換を目指す。外部で修業をしながら「和から洋」へ大転換する時代の変化をとらえ、「トイレットペーパー」の生産を開始したのが昭和36年(1961年) 俊次27歳の時である。残った手漉きの障子紙等を資本金(300万円)として伊藤萬製紙(株)を設立し、総工費750万円で1号抄紙機を設置し家庭紙の生産に乗り出す。生産を開始したものの、予定していた地元の産地問屋からの取り引きを断られる。そこで俊次は、売り先を求めて消費地の卸問屋に直接販売を開始した。数年の内に京阪神・中四国・九州・東京・名古屋と販路を広げていった。当時、日本人の生活文化が急激に洋風化しトイレットペーパーの需要が拡大していったこともあり、苦労しながらも順調に事業を成長させていった。

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1971年

Story4|流通革命による販路拡大。AIPA設立と高度成長期へ。|1972年~2003年

産地問屋から消費地問屋へ。結果的に俊次の「流通革命」は、伊藤萬製紙を急成長へと導く。1号抄紙機に続き、12年間で6台の抄紙機を導入。昭和48年(1973年)には、大型マシンを備えた最新工場が完成し、愛媛の家庭紙メーカーで生産量と売上高でトップへと躍進を遂げる。更に、昭和44年(1969年)当社を含め県内家庭紙メーカー13社の共同出資によって、愛媛パルプ協同組合(AIPA)が設立され古紙パルプの生産を開始した。組合員企業のコストダウンと品質向上、安定供給を実現した。昭和55年(1980年)、イトマン株式会社に社名変更。その後、カラーロール・香水入りロールや紙管なしトイレットペーパーなどアイデアを活かした商品を生産し家庭紙メーカーとして順調な成長を果たす。

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2003年

Story5|経営方針の大転換。業務用家庭紙分野のリーディングカンパニーへ。|2004年~2016年

既に成熟市場となった家庭紙業界は、激しい価格競争を繰り広げる中、平成17年以降大手製紙メーカーの増産、重油価格の高騰を受け、中小の家庭紙メーカーは打撃を受ける。平成16年(2004年)に五代目社長に就任した伊藤俊一郎の下、将来の成長を見据えた経営理念の更新を機に「業務用家庭紙への特化」という大きな戦略転換を図る。それまで、イトマンの成長の原動力となった一般向け家庭紙市場からの撤退を決断したのだ。撤退は潮が引くかの如く売上は一気に落ちていく一方、業務用市場の売上は一向に上がらない。イトマンは戦後最悪の経営難の時代を迎えることになった。しかし、社員一丸となったチームワークと法人顧客に経営資源を集中させることで新しい生産・販売・流通体制を確立。平成19年から徐々に売上は回復。平成21年には、実質最高益を生み出すまでとなった。

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そして現在へ

イトマンのこれから社員と共に未来のイトマンに向かって。

パブリック施設で使われる「業務用家庭紙」で、
シェア・売上共に西日本トップクラスとなったイトマン。

また、平成17年に開始した「ギフト事業」は、
季節感や些細なアイデアを形にした独自の商品を提供し、その後12年平均60%以上売上を伸ばし事業の柱に成長した。
また平成26年には、個人向け事業展開を担うイトマンリテールを大阪市内に設立。
さらに、変化の時代にも柔軟に対応できる安定した経営基盤を構築するために「未来事業推進会」を通して、
「メディカル事業」「アグリ事業」など新しい事業の可能性も模索している。

地域社会に新たな雇用を創出し続けることが使命と語る伊藤俊一郎社長を筆頭に、
社員1人1人がアイデアを形にし、
挑戦を通して「学び成長する事の喜び」、「人の役に立つことの感動」を追及する「チームイトマン」。

イトマンは、経営理念に示す「お客様へのよりよいサービスの提供」、 「環境との調和の実現」、「社員の豊かな人生の実現」、 事業テーマとして「Recycle & Happy Life」を 合言葉として挑戦を続けている。

そして、既に次の時代を見据え経営理念の更新準備に着手している。

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